Ther lived happilye ever after



ホワイトリー家の邸は貴族の屋敷にしては使用人が少ない・・・・らしい。

らしい、と曖昧な表現しかできないのは、イーストエンドの貧民街しかジャックは知らないからだ。

ホワイトリー家の使用人用入口を通り抜けながらジャックは改めて奇妙な感覚にとらわれた。

邸の裏手に作られたドアを通ればすぐに大きくて重厚な邸が目に入る。

ホワイトリー家は執事頭のペンデルトンが何度もくり返すように、伝統ある家柄の一つだ。

故に邸もそれなりの大きさはあるものの、華美すぎずシンプルに収まっている。

使用人の数も必要な人数ピッタリなので、昼の間は各自が割り当てられた仕事に性を出しているせいか無駄なおしゃべりや物音はしなかった。

昼を過ぎたこの時間帯は買い物や外の用事を済ませている者が多いせいか、特に静かだ。

ジャックもまた、ペンデルトンに言いつけられた仕事を終えて帰ってきた所だった。

(・・・・貴族なんて、毎晩馬鹿みたいなパーティーをやって暇を潰して生きてる奴らだと思ってたのにな。)

イーストエンドでジャックが想像していた貴族とはそういうものだった。

暇と金を持てあまし、下らない享楽に明け暮れる遠い世界の連中。

もちろん、現実にそういう貴族も多い事は確かだ。

しかしホワイトリー家でフットマンとして雇われて数ヶ月もたてば、貴族にもいろいろいるのだとわかってくる。

(まあ・・・・あいつと出会った時点で、貴族のイメージなんて総崩れだけど。)

勝手口のドアを開けて中に入りながらジャックは口元に不器用な笑みを刻む。

あいつ、とおよそ主には使わない呼称を思い浮かべただけで、脳裏にいくつもの彼女の顔が浮かんだ。

笑顔、泣き顔、怒った顔、拗ねた顔・・・・ジャックからすれば呆れてしまうほど表情豊かなこの家の主、エミリー・ホワイトリー。

この邸の中ではもはや公然の事ではあるが、世間にはまだまだ秘密の、ジャックの恋人。

いくつものエミリーの表情を思い出しながら絨毯の敷かれた長い廊下を歩き出す。

主のいない邸というものが、昼間はこんな風に眠っているようになるというのも、ここへ来て初めて知った事だった。

そして無機質なものであるはずの邸が、主の気質を反映するのだということも。

ブラッドリーの魔の手からエミリーを助けようと必死だった時にはさすがに気が付かなかったが、落ち着いてみるとこのホワイトリー家は当主であるエミリーにとてもよく似ていた。

廊下を歩いていくと、いくつかドアの開いた部屋の前を通る。

どの部屋も午後の初めの光が差し込んで、とても居心地が良さそうだ。

華美でなくてもきちんとした家具が置かれ、手入れが行き届いているからこその雰囲気なのだろう。

(エミリーも、そうだよな。)

誰が入って来ても暖かく迎える準備が出来ている部屋のように、エミリーは誰にでも笑顔を向ける事を知っている。

クラスでも異質な存在として迫害はされないまでも、一歩距離を置かれていたジャックに対しても最初からそうだった。

クッションが干されたり、風がカーテンをたなびかせたりしている部屋の前を通り抜けながら、ジャックは少しくすぐったくなる。

あの笑顔に、分け隔てなく伸ばされる手に、惹かれるなというほうが無理な話だった。

心の中にぽっと灯が灯ったような気分になって、ジャックは誤魔化すように仏頂面を引き締めた。

今はまだ仕事の時間。

エミリーは忠実に敬愛すべき主なのだ・・・・と、言い聞かせないと、廊下や部屋に飾られた素朴でも美しい花一つにも彼女の面影を見て気が緩んでしまいそうだ。

(ペンデルトンさんは・・・・出先からそのままエミリーを迎えに行くって言ってたか。)

なるべくよそ見をしないように歩きながら、素早く上司の予定を思い出す。

それならばあと二、三時間は帰ってこない。

それなら報告を先に文章にまとめておこう、とジャックは自分に割り当てられた部屋へ向かった。

自分の部屋のドアを鍵で開ける、という行為にジャックはまだなれない。

いくつかならんだ使用人の部屋の一つのドアに不器用に鍵を差し込みながら、ジャックは苦笑した。

(自分の部屋、なんてそもそもなかったし・・・・)

ジャックの人生において一人のプライベート空間なんて概念はほとんど存在しなかった。

かちゃっと軽い音を立てて鍵が開く音がしたので、ドアを開ける。

部屋の中には簡素なベッドと椅子と机、それに小さなチェスト。

イーストエンドの中でも最下層で育ったジャックが一度ももったことがなかった家財を見て、また少し笑いたい気分になった。

(そういや、この邸の連中もあいつに似てるよ。)

そう思い出したのはこの邸に初めて仕える事に決まって、この部屋をもらった時のことを思い出したからだ。

なにせ犯罪者としてロンドン塔に入れられるまで極限だったジャックは、もちろんなんの家財も持っているはずもなく、服さえも暗殺者として着ていた一式ともらったばかりのお仕着せだけだった。

だからごく当たり前にそれだけ簡潔に伝えたところ、使用人一同目を丸くし・・・・その日の夜には使ってなかったとかお古とかそんな家財や服を探してきてくれたのだ。

(普通、俺みたいなのがきたら嫌がるのに。)

遠慮とか恐縮のレベルを超えて、最早、理解不能な域へ陥っていたジャックにメイド頭のアリシアが笑いながら言った事を思い出す。

『貴方はお嬢様の命を救ってくれた。それだけでなく、きっとこれからの人生でお嬢様にとって欠かせない人になるんでしょう。だから、みんな貴方のためというよりは、お嬢様のためにしているのよ。』

半分はジャックの遠慮にたいする気遣いだろうが、多分半分は本気なんだろうと思って酷く納得したものだ。

(だから結局この部屋も、あいつが俺にくれたもの。)

窓から差し込んでいる柔らかい光のような暖かさを感じながら部屋に足を踏み入れたところで。

「・・・・?」

ふと、いつもと違う香りを感じた。

(これは・・・・)

もともとジャックの部屋に大した匂いがあるわけでもないが、暗殺者として鍛えた敏感な嗅覚が拾ったのは、明らかに自分とは無縁な香り。

部屋を見回したジャックはすぐにその原因を見つけた。

机の上に硝子の一輪差しにさした淡いピンクの薔薇があった。

「いつの間に・・・・」

今朝、起きて部屋を出た時にはなかったはずだと思いながら机に近づく。

(この部屋に入れるとしたら、ペンデルトンさんかアリシアか・・・・あいつか。)

邸全ての合い鍵を持っている人物を思い浮かべながら薔薇を見下ろせば、茎には棘の代わりに、なにやら白いものが結んであった。

「・・・・?なんだ?」

最初はリボンかと思ったが、紙で出来ていると気が付いてジャックはそれを解いてみる。

見れば、日に透けて中に文字が書いてあるのが見えた。

とりあえず薔薇は一輪差しに戻して、思ったより薄そうな紙をそっと開いてみると、見慣れた筆跡が目に飛び込んできた。

「やっぱり・・・・エミリーか。」

(朝はペンデルトンさんに堰かされてたくせに、何やってんだ。)

そういえば今朝、起きたはずのお嬢様が食堂にいらっしゃらない、とペンデルトンが探して居たな、と思い出してジャックは小さくため息をついた。

きっとあの空白の数分間にこの悪戯を仕掛けていたのだろう。

「・・・・困ったお嬢様、だ。」

口ではそう呟いたわりに、ジャックは目を細めて手元の紙に目を落とす。

そこには。

『Ybnq gur pbqr sbe sybjref jvgu xl srryvat.』

「・・・・単一換字式暗号、か。しかもROT13って・・・・」

学園で二人で解いた暗号と同じ手法に思わず口元に笑みが浮かぶ。

しかしややあって、その笑みはちょっと引きつった。

「おい・・・・俺に花言葉なんて分かるわけないだろ。」

(あいつにそれがわかってないわけない。ということは、二重暗号、だな。)

多分、ウエストエンド育ちか、ホームズのように雑学に通じていれば暗号を解いた時点で意味がわかるのだろうが、ジャックにとってこれはまさに二重暗号だった。

しかも、なにがなんでも解きたいと思わせるような。

ちらっと時刻を見れば二時をすこし回った所。

エミリーが学校から帰ってくるには、まだ少しの猶予がある。

どうせ彼女の事だ。

学校から帰ってきたら、この悪戯の成果が見たくて、キラキラした目を向けてくるんだろう。

あの大きくて澄んだ綺麗な瞳で。

(・・・・たく、)

その様を思い浮かべるだけで、ちょっとどうかと思うぐらい幸せな気持ちが胸に広がって、ジャックは苦笑した。

そんなエミリーを見たら、きっと抱きしめたくなって我慢するのに結構な忍耐力を要するのだが。

(・・・・・どっちみちペンデルトンさんには、あの冷たい笑顔を向けられるだろうけど。)

なんでもエミリーがジャックに笑顔を向ける度に、「娘を彼氏に取られる父親の心境」なるものに陥っているらしいペンデルトンにこの悪戯の事を知られれば、きっと盛大に嫌味に輝く笑顔を向けられるのだろうが、それさえも、ジャックにとっては些細な事だ。

「報告書も、あっちでやるか。」

そう呟いて、ジャックは紙とペンを持つと、ホワイトリー家の知の中心である図書室へと向おうとして、もう一度、一輪差しに入った薔薇に目を落とした。

淡いピンク色の薔薇は日差しに瑞々しく輝いていて、送り主の事を思い出させる。

「・・・・エミリー。」

昼の間はお嬢様という呼称を心がけ、夜の恋人の時間しか呼ばない名を囁くように唇に乗せる。

この名で呼びかけるとはにかんで微笑むエミリーを見られる時間まではまだ数時間。

酷く焦れたような気持ちになることさえも、どこか嬉しくて、ジャックは本物のエミリーにそうできる時間を想いながら、薔薇に唇を寄せたのだった。















―― 数十分後。

ホワイトリー家の書庫で、二重の暗号を解いたジャックが予想していた以上の事に赤くなって呻いたとか。

「・・・・くっそ、・・・・・こんな可愛い事しといて俺が我慢できると思ってんのかよ、あいつ。・・・・・・・・・ペンデルトンさんの前でそんな事したら、確実に殺られるよ、な・・・・。」

でも暗号は解けた?と満面の笑顔で見つめてくるエミリー相手にどこまで理性が働いてくれるのか。

なかなか不安な先行きに頭を抱えるジャックの手元で、エミリーの手紙が笑うようにかさりと揺れた。

『Ybnq gur pbqr sbe sybjref jvgu xl srryvat. 』

              『Load the code for flowers with my feeling. 』

                         ―― 薔薇の花言葉は・・・・『あなたを愛しています』

















                                               〜 END 〜
















― あとがき ―
ジャクエミに魂を持っていかれて最初に書いた話でした〜。
和風じゃない家の描写が久しぶりだったので楽しかったです(笑)